鳴鳩雑記

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腹を括らなきゃいけないよね

この国に生まれ、キリスト者になった者として、この事実は知らなければいけない。
そして、自分の事として、受け止めなければならない。
学ばない者のうえに歴史は繰り返される、といいますよね。
 

 

 

極私的に言えば、この記述に感情が高ぶりますね。

 

「 1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。1943年4月に第二次検挙が行われて、第一次と第二次を合計すると、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、妥協して教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計124人が逮捕された。これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すことを求めた。」 また、日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎した。第4部管谷仁主事は、「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と述べた。山梨教区長小野善太郎は、「大局的見地からいえば、こうした不純なものを除去することによって日基教団のいかなるものかが一段に認められて、今後の運営上かえって好結果がえられるのではないかと考え、当局の措置に感謝している」と述べた。」

 

 

この事に関して触れた説教、メッセージは、どこで語られているのでしょう。

いまの日本基督教団では、語り継いでおられるのかな。

ホーリネス系はどうだろう。

 

某聖書学院の生徒だったおり、奥山実さんが講師として来られ、この事を教えてくださいました。KFCのルークさんは、メッセ配信で触れておられますね。

僕の記憶では、他の方からこれを聞いたことは、ないんだよね。

歴史は学ばない者の上に繰り返される、っていいますよね。

 

当時のことを批判するだけではいけない。

もし、自分がその時代に生きていたら、どうしただろうか。

5年後、10年後、同じような状態になったら、自分はどうするか。

自分の事として、考えなくちゃいけない。 

 

そうなったらどうしよう、ではなく、そうなった際に、どうするか。

決めておく必要があるよね。

 

以前、結婚カウンセリングに関して、こんな話を聞いたことがあります。

「離婚の可能性を考慮している結婚は、すでに離婚に向かって進んでいる」

その選択肢を視野に入れている時点で、すでに問題があるということでしょう。

 

新約聖書の「証人」の意味を踏まえて、そのときにどうするのか。

 @黙示録2:13【新改訳2017】
2:13 わたしは、あなたが住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの確かな証人アンティパスが、サタンが住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。

 

実際にそうなったら、どうなるか。

それはわからない。

勇ましいことを口にする輩ほど戦場では役に立たない、とも言われますしね。

ただ、覚悟はしておくべきだろうと思うところです。

 

死に至るまで忠実でありなさい、とか。

体を滅ぼしても魂を滅ぼせない輩は恐れるに足りぬ、とか。

ご自分で口にして、有言実行されちゃうんだから。

 

その方の「弟子」として生きることを選んだってことは、しょうがないよね。

実際にできるかどうかは別としても、現時点で、腹を括らなきゃダメだよね。

それが、献身者、ってもんだよね。