ボクシとシントって、身分が違うのは、なぜなんでしょう。
プロテスタントは万人祭司で、差はない、というのが建前ですが。
ボクシの奉仕は報酬が発生する。信徒の奉仕は無報酬。
これって身分が違うってことではないでしょうか?
音楽の奉仕とか、英語の通訳とか、印刷物の事務仕事とか、いろいろ。
なかには、その道のプロ、職業者が奉仕していたりしても、シントの奉仕は無報酬。
ときには経費も自腹。
たとえば音楽の奉仕。
事前に準備して、練習して、現場に臨むわけですよね。
ボクシの説教準備と、なんら変わらないのではないでしょうか?
聖書には、こういう記述があります。
@申命記25:13-16【新改訳2017】
25:13 あなたには、袋に大小異なる重り石があってはならない。
25:14 あなたには、家に大小異なる升があってはならない。
25:15 あなたには、完全で正しい重り石と、完全で正しい升がなければならない。あなたの神、【主】があなたに与えようとしておられるその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。
25:16 こう言うのは、このようなことをして不正を行う者すべてを、あなたの神、【主】が忌み嫌われるからである。
大小異なる重り石。
大小異なる升。
シントは無償奉仕で、ボクシは有償奉仕。
これって、異なる重り石、異なる升、ではないでしょうか?
プロテスタントは万人祭司で、差はない、というのであれば。
これは是正する必要があるのではないでしょうか?
これも日本に、リバイバル、が来ない理由のひとつかもしれません。