七つの重要事項について、覚書き。
①「身代わりの死」と「共なる死」
「身代わりの死」
Ⅰコリント15:1-5に記述される、いわゆる「福音の三要素」。
@Ⅰコリント【口語訳】
15:1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
これを事実と認め、このイエス・キリストというお方を「救い主」⇒「私の唯一の神」と受け入れるなら、神の怒り、罪の刑罰、永遠の滅び、を免れる。
「共なる死」
イエスの内にあって、共に死に、共に葬られ、共に復活した、という霊における事実。
@ローマ【口語訳】
6:6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
6:7 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
6:8 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
6:9 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。
それはガラテヤ2:20を起点とした新しい人生の始まり。
@ガラテヤ【口語訳】
2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
*神の御子の信仰
@Ⅱコリント【口語訳】
5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
② 「キリストとひとつ」であること
キリスト教では、常にイエスを見上げ、求め、近づきたい、とする。
それは現在の体にあっては事実(Ⅱコリント5:6)だが、霊においてはすでに「ひとつ」とされている。
@エペソ【口語訳】
2:6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。
@ヨハネ伝【口語訳】
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
③「旧約」と「新約」の区別
それは時代的には「旧約」であり、「モーセ律法」が機能する時代。
そして当時のイスラエルでは、「口伝律法」また「先祖の言い伝え」といわれる教えが蔓延し、本来の「モーセ律法」が軽んじられていた。
イエスの宣教は、そのような状態のイスラエルに向けたもの、であることを踏まえて、福音書を理解する必要がある(異邦人クリスチャンは、そもそも「モーセ律法」の下にはいない)。
イエスの十字架によって、被造世界、森羅万象、万物が刷新された。
@ヘブル9:11ー12 【口語訳】
9:11 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
9:12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。
旧約は、地上の幕屋/神殿が雛型として定められた。
新約は、キリスト者/エクレシアが、神の住まいとして定められた。
④ 「天の御国」と「救い」の区別
天の御国=神の王国=神の統治
イエスの宣教は「御国の福音」。
イスラエルの王としての「救い主」の到来を告げるもの。
イエスの宣教は、地上に現れるイスラエル王国の建国を告げ、そこに入るように招く宣教。新約に生きるキリスト者には「千年王国」のこと。
イエス・キリストの「身代わりの死」による「罪々:sins」の赦免。
それによる「霊の救い」の教え。
また「共なる死」による「キリストとひとつ」であること、それによる「魂の救い」の教え。
「天の御国」に入ることと、キリストの「救い」に入ることは、別の事柄。
⑤「霊」と「魂」の区別
聖書の人間構造は「霊・魂・体」。
@Ⅰテサロニケ【新共同訳】
5:23 どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。
@ヘブル【新改訳2017】
4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
「霊」は、内奥の意識(良心)、直覚、創造主との交わり。
「魂」は、思考、感情、意思。
⑥ 「罪/単数形」と「罪過/複数形」の区別
「罪/単数形」は、体にある異物。
「罪過/複数形」は、個人の言動また思考による過ち。
@Ⅰヨハネ【口語訳】
1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
@ⅠJohn【NKJV】【NKJV】
1:8 If we say that we have no sin, we deceive ourselves, and the truth is not in us.
1:9 If we confess our sins, He is faithful and just to forgive us our sins and to cleanse us from all unrighteousness.
⑦使徒信条の由来と内容
ローマ帝国の国教化に伴う教会(エクレシア)の変質の前の時代、2世紀後半につくられたものといわれ、おおよそ使徒たちの教えの要約とみなされている。「水のバプテスマ」の告白とされ、イエスの「神性」と「人性」を否定する「異端」との識別を前提としている。
再臨されるイエス、を提示しており有益と思われる。
@Ⅰペテロ3:15 【口語訳】
ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。
創造論、聖霊論、終末論などは見解の差異があっても、イエス・キリストについては見解の差異はないのが、教会(エクレシア)。