TRを底本とする翻訳は、天においての証言者として、三位一体なるYHWHを提示している。
NAを底本とする翻訳は、その箇所はない。
@Ⅰヨハネ5:4ー9
聖書協会・共同訳 ヨハネの手紙 一 [5]章
1ヨハ 5:4 神から生まれた人は皆、世に勝つからです。世に勝つ勝利、それは私たちの信仰です。
1ヨハ 5:5 世に勝つ者とは誰か。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
ヨハ 5:6 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、霊はこのことを証しする方です。霊は真理だからです。
1ヨハ 5:7 証しするのは三者で、
1ヨハ 5:8 霊と水と血です。この三者の証しは一致しています。
1ヨハ 5:9 私たちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しはなおのことです。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。
イエス・キリストを証するものは、三つ。
霊は、聖霊
霊は、エクレシアに与えられた聖霊。
@使徒2:1ー4
聖書協会・共同訳 使徒言行録 [2]章
使徒 2:1 五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、
使徒 2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。
使徒 2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
使徒 2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。
*24:他国の言葉 ⇒ 異なる言葉
@ヨハネ伝7:39
聖書協会・共同訳 ヨハネによる福音書 [7]章
ヨハ 7:37 祭りの終わりの大事な日に、イエスは立ったまま、大声で言われた。「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。
ヨハ 7:38 私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」
ヨハ 7:39 イエスは、ご自分を信じた人々が受けようとしている霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ与えられていなかったからである。
*38:川 ⇒ 川々
@使徒2:33
聖書協会・共同訳 使徒言行録 [2]章
使徒 2:32 神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。
使徒 2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
聖霊は、イエス・キリストが復活し、昇天したことの結果であり、イエス・キリストが、救い主であることを証明している。
水は、人としてのイエス
水は、肉体を持った人として来られたこと。
@ヨハネ伝1:14
聖書協会・共同訳 ヨハネによる福音書 [1]章
ヨハ 1:14 言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
*14:私たちの間に宿った ⇒ 幕屋を張った、仮庵を建てた
@ルカ2:6-7
聖書協会・共同訳 ルカによる福音書 [2]章
ルカ 2:4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ルカ 2:5 身重になっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
ルカ 2:6 ところが、彼らがそこにいるうちに、マリアは月が満ちて、
ルカ 2:7 初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。
ヘブル的には、人は水から生まれると考えられており、イエスご自身もニコデモとの会話で、水と霊から生まれることを、肉と霊と言い換えて表現しておられる。
@ヨハネ伝3:5ー6
聖書協会・共同訳 ヨハネによる福音書 [3]章
ヨハ 3:5 イエスはお答えになった。「よくよく言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。
ヨハ 3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
この箇所を、水のバプテスマと聖霊のバプテスマを提示している、という聖書理解がある。
神の支配に中に入るために、公にキリスト者であることを明示する水のバプテスマが必要であり、また聖霊のバプテスマを受けることで魂が健化されることが大切である、という意図は同意できる。
だが、本文の意味としては不適当。
血は、十字架死
血は、十字架において流された血潮。
@ヨハネ伝19:34
聖書協会・共同訳 ヨハネによる福音書 [19]章
ヨハ 19:32 そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
ヨハ 19:33 イエスのところに来てみると、すでに死んでおられたので、その足は折らなかった。
ヨハ 19:34 しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
ヨハ 19:35 それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
@ヘブル9:11
聖書協会・共同訳 ヘブライ人への手紙 [9]章
ヘブ 9:11 しかしキリストは、すでに実現している恵みの大祭司として来られました。人の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、もっと大きく、もっと完全な幕屋を通り、
ヘブ 9:12 雄山羊や若い雄牛の血によってではなく、ご自身の血によってただ一度聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
@ヘブル9:22ー25
聖書協会・共同訳 ヘブライ人への手紙 [9]章
ヘブ 9:22 こうして、律法によれば、ほとんどすべてのものが血で清められます。血を流すことなしには赦しはありえないのです。
ヘブ 9:23 ですから、天にあるものの雛型は、これらのものによって清められねばなりませんが、天にあるもの自体は、これらより優れたいけにえによって清められねばなりません。
ヘブ 9:24 事実、キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今や私たちのために神の前に現れてくださったのです。
ヘブ 9:25 それも、毎年自分のものでない血を携えて聖所に入る大祭司とは違い、キリストは、ご自身を何度も献げるようなことはありません。
霊と水と血、この三者の証しは一致している
イエス・キリストは、人として生まれた。
イエス・キリストは、十字架で死なれた。
イエス・キリストは、死から復活して昇天した。
二人、または三人の証言によって確かにされるのが、聖書の原則。
(申命記17:6、19:15、マタイ18:16、Ⅱコリント13:1、Ⅰテモテ5:19、他)
小羊の使徒ヨハネは、霊と水と血、この三つをもって証言者として提示した。
新約の使徒パウロは、ダビデの子孫であること、復活した方であること、このふたつを提示している。
@ローマ1:1ー4
聖書協会・共同訳 ローマの信徒への手紙 [1]章
ロマ 1:1 キリスト・イエスの僕、使徒として召され、神の福音のために選び出されたパウロから――
ロマ 1:2 この福音は、神が聖書の中で預言者を通してあらかじめ約束されたものであり、
ロマ 1:3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
ロマ 1:4 聖なる霊によれば死者の中からの復活によって力ある神の子と定められました。この方が、私たちの主イエス・キリストです。
救いは、イエス・キリストのみ
@Ⅰテモテ 2:4ー6
聖書協会・共同訳 テモテへの手紙 一 [2]章
1テモ 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を認識するようになることを望んでおられます。
1テモ 2:5 神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。
1テモ 2:6 この方は、すべての人のための贖いとしてご自身を献げられました。これは、定められた時になされた証しです。
@使徒4:11ー12
聖書協会・共同訳 使徒言行録 [4]章
使徒 4:11 この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられ/隅の親石となった石』です。
使徒 4:12 この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」