鳴鳩雑記

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「キリストが私の内にある」 内村鑑三

「キリストが私の内にある」。

私がわきにあるのではない、私と共にあるのではない、また単に私が内に宿って私の心の客となっているのではない、キリストが内にあるとは、私の存在の中心におられるとの意である。

すなわち彼が私の意志となり、私のペルソナとなり、私を彼と私との判別ができないまでに至らないはずはない。
この時における彼と私の和合は親密な夫婦の和合にもよりまさって、彼が私であるか私が彼であるかこれを判別できなくなるのである。

二心同体に宿る、これを友誼と言うと。
けれどもキリストとクリスチャンとの一致は二心の抱合であるにとどまらずに、二個のペルソナが相流合して一つとなったものである。
このために二者は永久に離れるべきものではない。