鳴鳩雑記

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神を知る

ヨハネ伝17:1-3協共訳 
エスはこれらのことを話してから、天を見上げて言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子に栄光を現してください。
あなたは、すべての人を支配する権能を子にお与えになったからです。こうして、子が、あなたから賜ったすべての者に、永遠の命を与えることができるのです。
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。

 

唯一のまことの神であられる父なる神と、イエス・キリストを知ること、これが主イエスご自身が定義した「永遠の命」。

 

そして、この「知る」は、ギノースコーというギリシャ語だそうで、体験的に知ること、つまり経験すること。

 

それは創世記4:1の「知った」に対応する。

ヘブル語のヤダァ、原意は「手でする」とのこと。

人はその妻を知った。

生々しい表現である。

 

神を知る、ということは、海を知る、に似ている。

 

海水の量、成分、温度。

正確な回答は、誰にも出せない。

でも、波の音、塩辛さ、美しさ、恐ろしさ。

それを体験したら、海を知らないとは、言えない。

 

イエス・キリストに出会ってしまったら、知らないとは言えない。

他人にどう思われようと、知らないとは言えない。

 

気の迷い、思い込み、妄想、と言われるだろうか。

もしかすると、7歳の頃から数えて40年ほど、ずっと、妄想の中にいるのかも。

 

それでも、イエス・キリストに出会った。

それが僕の事実。