こんばんは、安息日に失礼します
ブログ記事に「魂は、あなたの自意識です。自覚できているのは、その一部分です」
とあるのですが、魂がこういうものである、という根拠は、原語からでせうか?
そういえば根拠は?と思いまして・・・それ言ったら霊についても要確認だけれども お手隙の際のご対応でお願いします。
というご質問をいただきました。
とても大事なことだと考えます。
たましいについて、聖書にどう書いてあるのか、が大切です。
新改訳第3版で「たましい」を検索すると、181箇所あります。
恊共訳で「魂」を検索すると、235箇所あります。
新改訳第3版だと「いのち」と訳している箇所もあるため、違いが生じています。
これらの箇所を読むと、知性、感情、意志の働きを伴うものとして、魂が記述されています。
いくつかあげてみます。
聖書協会・共同訳 申命記 [11]章 申 11:18
そこで、あなたがたはこれらの言葉を心に留め、魂に刻み、
聖書協会・共同訳 詩編 [11]編 詩 11:1 指揮者によって。ダビデの詩。/主のもとに私は逃れた。/なぜあなたがたは私の魂に言うのか
これらは「知性」。
聖書協会・共同訳 詩編 [35]編 詩 35:9 私の魂は主によって喜び躍り/その救いによって喜び勇む。
聖書協会・共同訳 詩編 [84]編 詩 84:3 私の魂は主の庭に思い焦がれ、絶え入りそうです。/生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。
これらは「感情」。
聖書協会・共同訳 箴言 [2]章 箴 2:10 まさしく、知恵があなたの心に来て/知識が魂の喜びとなる。
聖書協会・共同訳 哀歌 [3]章 哀 3:20 思い出す度に私の魂は沈む。
これらは「知性」と「感情」。
聖書協会・共同訳 詩編 [43]編 詩 43:5 私の魂よ/なぜ打ち沈むのか、なぜ呻くのか。/神を待ち望め。/私はなお、神をほめたたえる/「御顔こそ、わが救い」と。/わが神よ。
ここでは、自分に命じるという「意思」。
魂の働き、機能として、これら「知性」「感情」「意思」が記述されています。
そしてこれらは、自分の感覚、として誰しももっておられるでしょう。
そしてこれらの感覚で、自分を認識し、他者を認識しておられると思います。
ですので魂を、自意識、と理解しています。
追記
キリストにある先達の方々による経験と考察をご参考にどうぞ。
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリーさんの記事です。