@ヤコブ4:4 協共訳
神に背く者たち、世の友となることは神の敵となることだと知らないのですか。世の友になろうとする者は、自らを神の敵とするのです。
P太郎さんより:
「教会を取るものは、社会を捨てなければならないということでしょうか?
ヤコブや内村鑑三は、そう言っている様にしか読めないのですけど。
これも2者選択ではなく、教会のことが社会にまで及ぶべきでない。逆に社会の出来事は教会に及ばない」
返信:
感想をお伝えくださり感謝します。
初めに、この内村氏の文言は、岩波文庫「内村鑑三所感集」P163の「教会対社会」よりの抜粋であることをお伝えいたします。ヤコブ4:4は、内村氏が引用されております。
それでは、まず「教会」という言葉の定義をさせていただきます。
内村氏は「無教会主義」の提唱者であり、この文言における彼の意図する「教会」は、牧師がいる礼拝堂の「キリスト教の会」ではありません。
ですので、この「教会」とはⅠコリント1:2にあるように「聖徒」であり、またエペソ1:23の「キリストの充満」である、と読み取ることが適当と考えます。
この「教会」は「エクレシア/召衆」であり、キリストの御体です。
これは、いわば「いのちの木」に基づく、キリスト属の生存です。
次に「社会」ですが、ヤコブ4:4の「世」と照らし合わせますと、創造主ヤハウェ・エロヒムおよびイエス・キリストを拒否し、認めず、否定するものであり、かつ秩序と調和を持って運行しようとする構造といえるでしょう。
これは、いわば「善悪の知識の木」に基づく、アダム属の生存です。
さて、キリスト属のエクレシアは「世の光」また「地の塩」です。
@マタイ5:13ー16協共訳
マタ 5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか。もはや、塩としての力を失い、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
マタ 5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
マタ 5:15 また、灯をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家にあるすべてのものを照らすのである。
マタ 5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようになるためである。
@エペソ5:8ー14協共訳
エフェ 5:8 あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。光の子として歩みなさい。
エフェ 5:9 ――光の結ぶ実は、あらゆる善と義と真理との内にあるからです。――
エフェ 5:10 主に喜ばれるものが何かを吟味しなさい。
エフェ 5:11 実りのない闇の業に加わらず、むしろそれを明るみに出しなさい。
エフェ 5:12 彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
エフェ 5:13 しかし、すべてのものは光によって明るみに出されて、明らかにされます。
エフェ 5:14 明らかにされるものはみな、光だからです。それゆえ、こう言われています。/「眠っている者よ、起きよ。/死者の中から立ち上がれ。/そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」
この塩としての作用、光としての照明が、エクレシアの働きです。
エクレシアが、これを忘れ、捨て、失ってしまうのであれば、存在の意味は薄れ、不要となります。
ここまでをご理解いただいたうえで。
「教会を取るものは、社会を捨てなければならないということでしょうか?」
というご質問に回答いたしますと、「いいえ」です。
社会にあって、塩気を保ち、光を照らす、それがエクレシアの存在であり、働きです。
むしろ、社会を獲得していく、それが「教会を取るもの」の働き、また特権です。
「教会のことが社会にまで及ぶべきでない。逆に社会の出来事は教会に及ばない」
ではなく。
エクレシアの作用が社会に及ぶべきであり、社会の出来事はエクレシアに作用しない、ということである、といえるでしょう。
これは、エクレシアを通して神の支配(天の御国)が現出し、また拡大することです。
ですのでエクレシアであるキリスト者はみな、社会にあって、各々の働きを成していくことが期待されています。
大きな枠組みでは、下記の通り。
@創世記1:27‐28協共訳
創 1:27 神は人を自分のかたちに創造された。/神のかたちにこれを創造し/男と女に創造された。
創 1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて、これを従わせよ。
@マタイ伝28:18ー19協共訳
マタ 28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授かっている。
マタ 28:19 だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。
小さい枠では、労働によって自活することが、良しとされています。
それによって社会に参加することになります。
@使徒18:2ー4協共訳
パウロはこの二人を訪ね、
使徒 18:3 自分も同業者であったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
使徒 18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
@エペソ協共訳
エフェ 4:28 盗みを働く者は、もう盗んではいけません。むしろ、労苦して自らの手で真面目に働き、必要としている人に分け与えることができるようになりなさい。
@Ⅱテサロニケ3:6ー10協共訳
2テサ 3:6 きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、私たちから受けた教えに従わないすべてのきょうだいを避けなさい。
2テサ 3:7 どのように私たちを見習うべきかは、あなたがた自身がよく知っています。私たちは、あなたがたの間で、怠惰な生活を送りませんでした。
2テサ 3:8 また、誰からもパンをただでもらって食べたりしませんでした。むしろ、誰にも負担をかけまいと、労苦し骨折って、夜も昼も働いたのです。
2テサ 3:9 私たちに権利がなかったからではなく、あなたがたが私たちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。
2テサ 3:10 実際、あなたがたのもとにいたとき、私たちは、「働こうとしない者は、食べてはならない」と命じていました。
主の祝福と平安を祈ります。