鳴鳩雑記

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「木枯らし紋次郎に思う」2009・05・01

「死ぬときが来たら、黙って死ぬ。ただそれだけのことでさぁ」 

 

先ほど放映された「木枯らし紋次郎」を、堪能した。

 

江口洋介さんは、やっぱり素敵。

 

骨折して2週間が過ぎ...。 なんか刺激が欲しくて、ひさしぶりに映画館で映画みたいと思ってたところ、昔好きだった江口洋介さんの主演作が、今日封切り。映像は目がつかれそうだけれど、出ている役者さんが素晴らしい。 近所のシネプレで、レイトショーと思っていたのだが...どうにも眠い。

 

迷いながら、ふとTV点けたら金曜プレミア「木枯らし紋次郎」のCMが流れて、アレ?江口さんじゃござんせんか!というノリでレイトショーは止めて、久しぶりにワクワクしてTVを見た。 

 

清水の次郎長とか、無宿人モノのチャンバラは、長ドス振り回してドタバタ、無様に戦うところが素敵だと思う。

 

戦国モノ、武芸者モノ、幕末モノ、これらは美化され過ぎて、カッコ良く戦うところがイマイチに感じてしまう。

 

ヒドイのになると、主人公が鎧を着た相手を上段から太刀で袈裟懸けしたり...オイオイ、鎧は突かなきゃダメでしょ、とツッコミを入れたくなる。 

 

今日の木枯らし紋次郎、ストーリーは薄くて面倒くさい話で、どうでもいい。

 

印象的なのは、紋次郎の登場シーン。 

 

食い詰めた農民が、商家の籠を襲う。「金を出せばなにもしねえ」そういって飢えた農民が鎌を持って籠を取り囲む。そこを通りがかった紋次郎は、商家のお供に助けを求められる。 

 

同時に、農民には「昨日から何も食ってねえ」と訴えかけられる。 

 

旅の無宿人である紋次郎は、その騒動の真ん中を素通りし、どちらにも加担しない。

 

そこで善悪を主張せず、自分の価値基準で判断せず、自己を表さない。そこに自分はいない、という様で通り抜けていく。 

 

先走った判断をせず、一方に加担してもう一方に敵対せず、関わりのないことに束縛されず、ただ自分の道を進む...。 

 

 

「何についても、先走ったさばきをしてはいけません」 

 

「最初に訴える者は、その相手が来て彼を調べるまでは正しく見える」 

 

「そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです」 

 

そう語っているように思えた。 

 

 


そして冒頭の台詞。 

 

「死ぬときが来たら、黙って死ぬ。ただそれだけのことでさぁ」 

 

無宿人の紋次郎の世界観では、人の生死は自分の意思によらず、死んで 
終わり、なんだろう。 

 

それとは世界観が異なるが、この世においては寄留者であるキリスト者の生き方と通じるものがある、そう感じた。 

 

「日々、自分の十字架を負って私についてきなさい」 

 

「それがあなたに何の関わりがありますか。あなたは私に従いなさい」 

 

「目に見えることでなく、目に見えないことにこそ目をとめます」 

 

主観的に主を仰ぎ慕いつつ、客観的に自己の魂を治め、地上のことに執着せずに生きる。

 

そうありたいと思わせられた。 


おまけに。

 

肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢。 

 

これらに「肉」が煽られるときは、こう言うことに決めた。 

 

「あっしには、関係ねえことで」