マイストーリー 2019・9.11
@詩篇103:2 わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
僕がイエス・キリストを「救い主」として受け入れたのは、小学校1年生のときでした。1981年8月9日、そこから僕のキリストにある生活が始まりまして、約40年2ヶ月になります。
その日、母と姉に連れられて当時住んでいた北海道函館市にある教会に行きました。そこで教えられるままに、イエス・キリストを受け入れるお祈りをしました。幼いときでしたので、難しいことは全く考えておりません。
ただ、この神様は怖くない、という印象は覚えています。僕が通った幼稚園は仏教系の幼稚園で、仏壇、仏像、その類には漠然と、怖い、という思いがあったのですが、教会の神様には、そういった怖さを感じませんでした。その次の週から、日曜日に教会に通うようになりました。
そして次の年のお正月1983年の元旦に、最初の節目がありました。その教会ではいわゆる元旦礼拝というものが行われており、そこではひとりづつ、聖書にはさむ「しおり」を取り、そこに牧師の手書きの御言葉が書いてあり、それがいわば預言的に、神様からの語りかけのように受け取られていました。僕が取ったしおりには、ヨシュア記24:15が書かれていました。
@ヨシュア24:15【主】に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は【主】に仕える。
意味がわからなかったので母に尋ねたところ、信じる神様を決めなさい、ということだと教えられました。それは僕には、とてもショックでした。神さまは僕が神様を信じていることを知らないのか、というショックでした。そこから、神様、僕は信じていますよー、と神様にアピールするようになりました。教会に通うバスの中で、学校の行き帰りの道で、自分のうちにおられるイエス様との、会話が始まりました。
そして1987年12月27日、13歳で洗礼式、水のバプテスマを受けました。
洗礼を受けた後ですが、そのまま教会に通い続ける、という事にはなりませんでした。当時の生活環境の中で、イロイロがありまして、神がいるのはわかる、でも自分の人生には関わってくれないようだ、神にも悪魔にも従わない、自分で生きていくしかない、と心に決めまして、真面目ではなく、かといって悪くもなりきれず、15、16、17と、私の人生暗かった、という時間を過ごしました。
転機を迎えたのは、二十歳の時です。二度目の節目です。東京で一人暮らしをしながら、自分はクリスチャンなんだろうか、と考えまして、黙示録3:15-16の御言葉を考えました。
@黙示録3:15-16
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。」
そこで、熱くはなれない、冷たくなろうと決め、僕は祈りました。「イエス・キリスト、お前が本当に救い主なら、もう一度、俺を救ってみろ」そう祈りました。今から思えば、わざわざ祈る必要ないんですが、祈ったわけです。
当時は物事を考えるということがなく、感覚と感情だけで生きていたように思います。神の実在を体験として知りながら、神に従うことができない、泣くには愚かしく、笑うには悲しすぎる、そんな状態でありました。
詳しい話は省きますが、ある日オートバイに乗っているときに、スピード違反で警察に追われまして、最後は手錠を突き付けられて「抵抗したら逮捕」という事がありました。
またその次の週には事故で右手を骨折しました。日本の諺に、泣きっ面に蜂、とか、落ち目に祟り目、とかいうものがありますね、まさにそんな感じを味わいました。
自分でもわかっていたんですが、神様に挑戦したら負けて当然、勝てるわけがありません。俺は神様に負けた、当たり前の話だ、と思いました。
そのときです。全部赦す、帰ってこい、という言葉を聞きました。それは明確に、衝撃的に、自分の内側に響きました。感動しました。幼いころに感じていた、神様の暖かさを、取り戻したんです。喜びが溢れまして、もう一度救えるものなら救ってみろ、などと言ったことは都合よく忘れたわけです。
そこからまた教会に通い出し、イロイロな教会に行き、イロイロな牧師さんに会い、イロイロな体験をしました。 22歳のときには、キリスト教会を迫害する国に、聖書を持ち込んだことがあります。
そのときは
@詩篇113:3 日の昇るところから沈むところまで【主】の御名がほめたたえられるように。
という御言葉が与えられまして、それを読んだ瞬間に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」という聖徳太子の遣隋使を思いだし、これは神の働き、神の業だ、という揺るがない信仰が来てしまいまして、そうなると恐れはありません。不安もありません。あるのは神への信頼だけです。聖書をスーツケースに詰め込んで持っていき、現地の税関でとめられ、聖書を見つけられつつ、そのまま無事に、聖書を全部もって入国するという、現地の宣教師も驚く不思議を体験しました。
またその宣教旅行の直前に、「異言の伴う聖霊のバプテスマ」を受けまして、聖霊を受けて出ていくと神が働かれる、という現代でも変わらずに続く、神の御業を経験させていただきました。
その後、北海道にあるクライスト・フォー・ザ・ネイションズという聖書学院に入りまして、ほとんど勉強することなく、賛美奉仕で歌ってばかりの中、妻と出会い、結婚に導かれました。結婚した当時は、小さな開拓教会に関わっていまして、経済的にはとても厳しい状況でしたが、必要はすべて満たされました。
そんな生活の中、長男が生まれました。私たちは、日本のクリスチャンが少ない、人口の1%しかいない、特に男性が少ない、じゃあ生んで増やそう、と冗談で言っていました。そこで、子供が何人与えられるのか祈りましたところ、3人の男性が見えました。それで、息子が3人与えられるのがわかりまして、実際、そのとおりになりました。
それぞれ幼い時に信仰告白をし、水のバプテスマも受け、長男は社会人、次男と三男は高校生になっています。私が1983年にいただいたヨシュア24:15の「私と私の家とは主に仕える」という御言葉が実現しました。
また創世記で主が語れた、創造に伴う「生めよ増えよ」という命令もまた実現しました。
さて、僕はこの御言葉を、これはあなたへの言葉だよ、とこれまで4人の方に言われました。
@イザヤ58:11
主】は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。
僕は、イエス・キリストとキリスト教は違う、と考えています。キリスト教という宗教に生きることと、キリストにあって生きることは違う、と考えています。
そして、キリストの御体であるエクレシアを祝福したい、建て上げたい、仕えたいと、願っています。
よろしくどうぞ。