鳴鳩雑記

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師走を前に思う

自分を客観視して、なにがしたいんだろうね、って考える。

 

若い時は、神様の為に~、という取り繕いで、「キリスト教の会」活動を志したりもしたけれど。

 

今の動機は、なんだろう、って。

 

 

僕は、小学一年生のとき、イエス・キリストを認めた。

なんで、認められたのか、わからないけれど。

三歳上の姉から、あんたも信じるんだよ、と命令があったことは覚えてる。

 

もともと家系的に、霊感強い系だったみたいで。

祖父が山歩きしていたら「どこそこ神社に連れて行ってくれ」とカミサマが入って来て、そこまで行ったら出て行ったとか。

そんな話は、小さなころから聞かされていた。

だから、見えない世界があることが当たり前。

幼稚園に入る前に、死後の世界に惹かれていたのも、覚えている。

 

 

なので、「キリスト教の会」の、日曜学校で。

イエス・キリストが神様で、救い主で。

そんなことを教えられると、疑いもなく受け入れていた。

 

 

なので、僕は、いわゆる伝道ってのを、されたことがない。

社会人になってから、キリストに出会って、人生観が変わる、という体験がない。

だから、イエス・キリストの福音を世に伝えよう、といったような情熱は、強くない。

 

 

子供のときに、イエス・キリストに出会う。

これは素晴らしいこと。

若い日に、創造主を覚えるのは、良い。

 

でもね、「キリスト教」の価値観で育つと、イロイロ難しい。

僕は宗教二世ではないけれど、似たようなもので。

 

 

小学5年生かな、6年生かな。

日曜学校で、目を閉じて、天国行けると信じてる人、手をあげて、みたいなとき。

僕は、手を上げられなかった。

自分の内に、悪があるのを知っていたから。

おそらく当時の僕は、イエス様信じて正しく生きるのがクリスチャン、と思っていたんだろう。

手を上げられなかった。

日曜学校のあと、伝道師かなんかに呼ばれてね。

僕は、泣きながら自分の内にある悪について、伝えた。

その方は、Ⅰヨハネ2:1から、弁護者キリストを教えてくださった。

ただ、それは何の解決にもならなかった。

 

10代は、心を病んでいて。世における黒歴史

 

20代は、聖霊派の中でワチャワチャ。これもまた黒歴史

 

30代に入ってから、十字架の二面性を、代償の死、共なる死、を知った。

理解した。

そのときね。さっきの話を、明確に思い出した。

 

 

もし、あのとき。

弁護者キリストでなく、十字架の二面性を教えてもらっていたら。

僕の人生は、全く違っていただろう。

 

もちろん、当時の僕が、理解できたとは、思わない。

でも。

罪の単数形と複数形の違いと、その対処が伝えられていたら。

強烈に、そう思った。

 

 

おそらく、これが今の動機。

 

 

イエス・キリストの十字架。

その死、その復活。

身代わりの死、それによる「sins:罪々」の処置。

共なる死、それによる「Sin:罪」の処置。

そして、アダム属に終わり、キリスト属に生かされる、新創造。

これを、伝えたい。

 

 

箱物宗教「キリスト教の会」に幽閉されている、キリスト者、エクレシアに。

 

そして。

 

キリスト教の会」とは関わらずに、陰謀論、スピリチュアル、世の欺瞞、そういった糸口から、聖書を見出し、キリストに出会った方々に。