日本人は、幼いときより汎神論的世界観に洗脳されている。
昭和のアニメだと、デビルマン、バベル二世、ドロロン閻魔くん、魔女っ娘メグちゃん、魔法使いサリーちゃん。
ディズニ―。ジブリ。
聖書の創造主を否定する世界観の娯楽作品。
そこから異教の要素、魔術的要素を無分別に受け入れている。
またその反面、知性を御言葉の上に置き、霊の働きがある背景を認めない面もある。
いずれにしろ聖書的な世界観を知ることにより、欺きから解放される必要がある。
また人間との距離感で自己存在認識を確立していることにより、知性や意思よりも、情緒を重視しがちである。
神の前に「単独者」として立つ信仰を持ち、御言葉により感情を取り扱うことが求められる。
日本の「教会/エクレシア/召しだされた会衆」は、「ヒューマニズム」と「オカルト・ニューエイジ」という、最も効果的に福音を妨げる敵の火の矢に攻撃さらされ、瀕死の状態となっている。
悪魔とその手下は、活動をやめていない。
キリスト者は、御言葉の教えに留まるために、武装しなければいけない。
聖書の伝える信仰の歩みは、戦いの中にある。
蛇の子孫と女の子孫から始まり、族長時代、出エジプト、カナン侵攻、士師たちの活躍、王国時代、常に戦いがあった。
使徒の時代より現代に至るまで、「血肉に対する」ものではない格闘が行われている。
キリスト者は、霊の領域においては、戦場にいる。
@詩編23:5
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。