鳴鳩雑記

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続・先生に思う

@マタイ伝23:6-10

【新改訳2017】
23:6 宴会では上座を、会堂では上席を好み、
23:7 広場であいさつされること、人々から先生と呼ばれることが好きです。
23:8 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。
23:9 あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです。
23:10 また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。

【聖書協会共同訳】
マタ 23:6 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
マタ 23:7 また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。
マタ 23:8 だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆きょうだいなのだ。
マタ 23:9 また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
マタ 23:10 『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。

 

先の記事で、呼ばれる立場の方に向かって、こう書きました。

 

先生と呼ばれるの、やめましょう。

先生とよばせるの、やめましょう。

肩書から「師」の字、外しましょう。

そこから、天の御国の文化の現出が始まるでしょう。

 

 

この記事は、呼ぶ立場の方に向かって、書きます。

先生と呼ぶのやめましょう。

 

もちろん、一般社会において、医者、弁護士、教員、を先生と呼ぶことは、全く問題ありません。それは「世」ですから。

僕が伝えたいのは、教会(エクレシア)での、先生と呼ぶことについてです。

 

キリスト者は、世に生きる生活と、世から出て生きる生活と、二重の生活がありますのでね。その点については、コチラを「きよい動物」の適用 - I.D.F.

 

 

 

先ほどの御言葉、2017でこう記述されています。

 

あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。

あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。

 

もし、教会(エクレシア)において、ボクシを先生と呼ぶのであれば…。

あなたの教師は、ただ一人ではない、ということの表明です。

 

つまり、それは、その先生と呼ぶ相手の弟子であって、キリストの弟子ではない、という事の表明です。

ボクシを先生と呼ぶという事は、ボクシの弟子であって、キリストの弟子ではない、ということの表明です。

 

だって、

あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。

って、書いてあるんだから。

それに反する選択をしている、ということですよ?

 

 

ちなみに、この「ただ一人」という言葉、マルコ伝では「唯一」という言葉で訳されています。

@マルコ伝12:29

【新改訳2017】

エスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。

【恊共訳】

エスはお答えになった。「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。

 

唯一の主、と同じ言葉で、師はただ一人、と言われています。

ちょっと重みが変わりますよね。

 

 

もちろんね、イエス・キリストの罪のための死、葬り、復活を認め、彼を救い主として受け入れたら、「霊の救い」は得られるので、罪過は赦され、地獄には行きません。

アダムに属する「罪人」という存在ではなくなり、キリストに属する「新創造」になります。

先生と呼ぼうが、それによって「霊の救い」を失って地獄に行く、などということにはなりません。

 

ですが、それは、キリストの弟子となることと、イコールではありません。

エスの願いは、弟子となることです。

 

@マタイ伝28:18-19a

【新改訳2017】
エスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

【協共訳】
エスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。

 

それは「魂の救い」の部分であり、天の御国の相続に関わる部分です。

 

 

これってね、創世記に記述されている、人の創造と同じ。

 

@創世記1:26-27

【新改訳2017】
1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

【恊共訳】
創 1:26 神は言われた。「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよう。」
創 1:27 神は人を自分のかたちに創造された。/神のかたちにこれを創造し/男と女に創造された。

 

2017の記述では、26節われわれの「かたち」と「似姿」に造ろう、と仰せになられているのに、27節では「かたち」が2回記述されて強調されているけれども、「似姿」となったとは書かれていない。

なぜか。

それは、人が神の言葉に従って生きる中で、「似姿」を獲得していくものだから。

アダムには「園のどんな木から食べてもいいよ、だたし、あの善悪の知識の木からだけはダメだよ」と、神は仰せられた。

それに従って生きるときに、彼は「似姿」に変えられていくことができたわけです。

 

同じように、キリストによって救われました。

そこで「新創造」とされて、新しい人生が始まりました。

その新しい人生において、キリストの弟子として、キリストの言葉で生きるときに、キリストに似た者へと変えられていきます。

それが、イエス・キリストの願いです。

 

そうした意味において、

 

あなたがたの師は一人だけで、あとは皆きょうだいなのだ。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。

 

という言葉を受けとめることが、期待されています。

 

さて、どうされますか?