一年半ほど前。
2019年の師走にはいったころ、祈っているとヨゲンが来た。
数名の方への、それぞれへのガゾウとコトバ。
その中で、あるご夫妻へのそれぞれのヨゲンがあったのだけれど、おふたりに似たようなもの。
ご主人の方には、あなたの前に大きな剣が備えられている、使いこなすにはあなた自身がまず霊と魂を切り分けられることがもとめられる、というもの。
奥様の方には、あなたの前にある、あなたの手に合うように用意された小さな剣をとって、弱いものを守るためにもちいるように、というもの。
ヨゲンて、受け取ると重い。
そして、ヨゲンを語るのは、リスクがある。
語ったのちに、あんたの声を聴いた瞬間に神様だとわかった、という感嘆の応答をいただけることもあれば、厄介なことになる場合もありえるわけで。
で、新約のヨゲンなので、吟味、検討が必要(Ⅰコリ14:29)。
彼らの集会のボクシさんに伝え、経由して伝えていただいた。
お二人がどう受け止めたのか、僕は知らない。
励ましになったのかもしれないし、戯言として流されただけかもしれない。
伝えた後で、ご夫妻だからって同じようなヨゲンなのか?
しかも二人一緒じゃなくてそれぞれに?
主よ、あの感覚はあなたからのだと思ったんですが、どうなるんでしょうね?
もしかすると、キリストの裁きの座で弁明することを増やしただけかも、と。
僕は、新約のヨゲンは、徳を高め、励まし、慰める、というものであって、いわば「可能性の提示」と理解している。
受け取る側がどう応答するか、も大切。
なので、語ったことが100%実現する、などとは考えていない。
新約のヨゲンと、旧約の預言とは、まったくの別物。
ただし、新約のヨゲンでも、語る側の姿勢と責任は、決して軽くない。
先日、そのご夫妻が来年くらいに、おふたりでメッセするようになる、というような話を耳にした。
ご夫妻が、喜びと平安を持って、メッセに臨まれるよう願いつつ。
今後の展開を、主に期待。