鳴鳩雑記

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「日本の教会に対する批判」   ヘンドリック・クレ-マ-

「日本の教会に対する批判」            ヘンドリック・クレ-マ-

■ヘンドリック・クレ-マ-氏
 オランダの宗教学者、故人。1960年秋、日本基督教団の招きで来日。
 2ヶ月間、国内各地の教会関係者を歴訪。帰国の際の報告講演が下記である。
 彼の主著は 「信徒の神学」 (60年、新教出版社刊)。

二ヶ月にわたる私の日本滞在の最後の瞬間を迎えたが、ここで時間が制限されていることが残念である。(中略)
どうしても話さねばならないことだけを、思い切って申し上げよう。どうか寛容をもって聞いていただきたい。(中略)

まず結論を述べよう。日本の教会、諸君の教会は、かつて西洋の宣教師から与えられた概念、型、構造に、あまりにもキチンとはまりこみ、それに固執しすぎている! しかもこのような過去のイメ-ジが、諸君にとっては、聖なる、犯すべからざるもの、変更など思いもよらぬものと考えられている。

これは驚くべきことだ。だから、日本の教会は他に対して宣教しようとしながら、一般からは、真に自己中心的、閉鎖的生き方をしていると見られているのである。

 


たとえば諸君は、教会といえば制度化された教会が唯一の模範と思っているらしい。教会とは会堂と牧師がいるものだ、という考えに、諸君はまどわされている。

しかし、このような固定観念は教会の生命を抹殺し、その進歩を圧死させるものである。これに固執するからこそ、諸君は、西欧世界とは異なる日本において壁にぶつかるのである。

ほんの僅かな信者しかいないのに、教会堂をもち、専任牧師がいると考え、そこから申し訳程度の謝儀が生まれる。そして牧師たちのほとんどは、自分の生活のために、内職ばかりしているではないか。その結果、教会のしもべとしてのわざを放棄しているではないか。

 

諸君は言う。日本のキリスト者は少数者であると。しかし、もし諸君が自己革新的なキリスト者となれば、信者の数は問題ではない。キリスト者とは、その少数にひるまず多数を誇らず、ひたすら真実な信仰によって預言者的に生きる者ではないか。諸君の間では、教会生活と日常生活とが分離しているが、これは大きな誤解だ。教会は日常生活のただ中にあってこそ生きていくべきものなのだ。 (中略)

 


どうして日本のキリスト者は、同信の友と教派をこえて交わりをしないのか。人口の1%程度しかいない日本のキリスト者たちが、仲間づき合いもせずお互いに無知であり、疎遠であり、場合によっては内輪げんかばかりしているとは、いったいどういうことか。

このような現状を露呈しながら、現代日本に伝道しようなどと考えているとすれば、諸君、目をさましたまえ! それはまさに常軌を逸したお手本だ。せいぜい30万か40万しかいない日本のプロテスタントキリスト者が、小ぎれいに分裂したまま、それぞれの分派活動に専念している一方、宣教師たちが外国資金でせっせと別な教会をこしらえている。この図はまさに奇妙キテレツと言わざるを得ない。いな、愚の骨頂だ! 私はウソのつけない男だから、見たままをはっきり言う。

こんな状態で、各自がこじんまりと自己満足的な仕事をしながら、現代日本に伝道しよう、あるいは、しているなどと考えること。それに対して、諸君は憤激の抗議をしたことは一度もないのか。

信仰さえあれば、何でもできるといった子供っぽい考えは捨てたまえ。私には、こんな日本の教会のバラバラな状態では、伝道が進歩するとは到底本気で考えられぬ。


伝道とは何か。もう一度諸君は考え直してもらいたい。日本を旅行して気づいたことだが、日本の教会は、伝道といえば直接伝道としか考えていないようである。私はこの誤解を是正したい。

伝道には、説教を中心とする直接伝道と、信徒の生活による間接伝道とがあるが、日本の現状では、直接伝道よりも間接伝道が特に必要なのである。

つまり日本のように社会的、経済的、また文化的に高度にひらけた国においては、西洋諸国の伝道のやり方、すなわち鳴物入りのキャンペ-ン型伝道が成功するとは、私には到底思えない。

諸君は日本の住民であり、文化的で知己な環境に生活しているのだ。自分の社会的風土を誤解しないでくれたまえ。

 


さて数日前、私は無教会の諸君と語る機会をもった。いろいろと話し合った後、私は最後に訴えた。
「さて諸君、諸君は日本において最高の知性を備えられた方々である。諸君はキリストの御用をつとめるためにまたと得難い宝である。いったい無教会とか、教団とかいうことは、もはや第二義的なことではないか。大事なことはキリストの御名がこの日本で崇められることである」 と。


私はここにいる諸君にも、繰り返して訴えたい。現代日本は、全キリスト教会の一致した証言を期待しているのであって、その分裂した叫び声を聞こうとしているのではない。

日本を心から愛する一介のオランダ人として私は心の底から、このことを諸君に訴える。 (中略)


諸君、キリストは日本のためだけにあるのではないし、世界は日本と同一ではない。

だから諸君は、自分たちとは違った人々をも兄弟姉妹として受け入れ、胸を開いて問題を語り合うようにしたらどうか。他者との話し合いというものは、自分の意見で相手を屈服させようとすることではなく、率直にしかも時間をかけて、ゆっくりとやらねばならないものだ。 (中略)


私の述べたすべてのことは、重大な事柄である。簡単に取り扱ってもらっては困るのである。

    
1961年2月20日発行の日本基督教団宣教研究所 

『革新される教会』 所収、宮崎彰より