ある方の配信メッセージを楽しませていただいている。
なので、時おり献金させていただいたり、お菓子を贈らせていただいたり、感謝を表している。
で、月曜日に口座に入金する。
水曜日には礼状と集会でのワーシップを録音されたCDが届く。
なんと迅速、かつ丁寧な対応をいただいていることだろうか。
献金で食ってる教職者とは、御言葉に態度だけでなく、金銭に対する態度も違う。
実に素敵。
実際のところ、キ業界は、金銭にだらしないかもしれない。
イロイロと耳にはさむ話は、恵まれない話ばかりだ。
個人的な一例をあげる。
某宣教師さんが活動資金が乏しいとのことで、毎月振り込む。
6回の入金、期間にして半年、振り込みの確認連絡も活動報告も全くない。
で、振り込みを止めたところ、口座の管理者が体調不良で云々、との手紙が届く。
あ~そうなのね、でもね、献金したいところは他にもあるのでね、とそのままにしたところ、その後は連絡なし。
分かりやすいというか、なんというか、まさに金の切れ目は縁の切れ目。
そういったこの世の価値観が、業界ではそのまま通じてしまうんだなぁ、と思った次第です。
業界の活動で生活費を得ている方って、他人の茶わんの飯を食う、そのことの意味を、理解されていないのだろうなぁ、と思うことが少なくない。
教職についているだけで、尊敬と金銭を受けるのが当然、人生をささげているのだから、というような感じを受けることがあるんだよね。
聖書には、敬虔を利得の手段としてはいけない、って書いてあるんだけれどもね。
お金に対する態度を見て、小さなことに忠実って、大切。
改めてそう思わせられます。
まあ、私は信仰により神に養われている、という方もおられるでしょうね。
そういう方は、川辺でカラスが肉とパンを持ってくるのを、まずは待ってみてね。
それで食っていけるのなら、すごいことです。
カイザルのモノはカイザルに。
神のモノは神に。
それって、お金の肖像を題材にされた話だったよね。
お金の取り扱いは、やはり大事だよね。