鳴鳩雑記

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新約の「長老」ってさ

会堂があって、ボクシがいて、その説教を聞くのが「礼拝」、と捉えているキリスト教を、僕は「箱物宗教」と呼んでいる。

 

こうやって書くと、否定しているように思われるだろう。

確かに、否定的ではあるけれど、全否定はしない。

そこには「新約の聖徒」が集っているわけだから。

 

出エジプトしたイスラエル人たちに、主なる神(ヤハウェエロヒム)は、「幕屋」を建てるように命じました。

特定の領域と構造物を設け、俗と聖を区別しました。

その「幕屋」に、「雲の柱・火の柱」を現出させるという、日常的に超自然、という状態で、イスラエル人の関心を集め、主なる神(ヤハウェエロヒム)ご自身に意識を向けさせる目的がありました。

 

同様に、教会堂、礼拝堂、チャペルという建物は、日常生活から分離し、神を意識させるための空間として、有益です。

信じたばかりの方は、教会堂に入ると神に意識を集中しやすい、そんな傾向があるでしょう。神のために捧げられた空間、というのは、確かに素敵です。

 

それを使って福音宣教が進み、神の国が拡大し、世の光、地の塩、となっているのなら、会堂でも礼拝堂でもボクシ館でも、お好きになさればよろしいのだけれど。

 

「実は、教会の先生たちが謀り合い、933万円ものコロナ助成金を不正に受給していました。今、教会幹部の牧師さんたちは疑惑の追及を恐れ、幕引きを図ろうとしているのです」

なんてことが一般紙にも載せられてしまう現状。

これだけじゃない、この業界の恵まれない話、イロイロありますよね。

ボクシ教職者の方、「キリストの裁きの座」って、ご存じですよね?

 

 

そもそも、特定の場所、建物、時間、形式、で礼拝するのは、旧約的な礼拝です。

イスラエルの「幕屋」は、「模型」だったとへブル書にありますよね。

 

@へブル9:24【新改訳2017】
9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、人の手で造られた聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして今、私たちのために神の御前に現れてくださいます。

 

主イエスによって、模型は役目を終えたわけです。

なので、地上にはもうありませんね。

 

「ボクシ教職者は旧約聖書の祭司になぞらえることができます」

そんな安直な解釈で、模型のまねごと、日曜日の午前中の、わずかな時間に落ち着いてしまっている。

 

日曜日の礼拝式がダメだというわけではありません。

それは、霊拝の一部にしかすぎませんよ、ということです。

僕は「主の祈り」とか「信条告白」とか、嫌いではありません。

そういった形式も、あり、でしょう。

ただね、それで満足してちゃ、いかんでしょ、ということです。

 

「新約の聖徒」は、全員が「祭司」です。

 

@Ⅰペテロ2:9【新改訳2017】
2:9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

 

イエス・キリストがメルキゼデク系大祭司なら、「新約の聖徒」は全員がメルキゼデク系祭司なわけで、ボクシ教職者が「祭司」というわけではありません。

 

ボクシ教職者は、新約聖書でいえば「長老」です。

旧約になぞらえるなら、せいぜい「祭司長」という感じですかね。

まさか、大祭司だ、なんて言いませんよね。

 

新約の「長老」であれば、「新約の聖徒」としてどう生きるのか、御言葉を教えなければいけません。

 

また、お手本を示さなければいけません。

そうでないと

 

@マタイ伝【新改訳2017】
23:4 また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。

 

と指摘されてしまうやもしれません。

繰り返しますが、「キリストの裁きの座」って、ご存じですよね?

 

 

そんなことを思いつつ、検索していたらコチラを見つけました。

細かい部分はさておき、「長老」について、的確なご指摘をされています。

ぜひ、ご一読を。 

marokiwi.net