鳴鳩雑記

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私たちの会話は天にあり?

キリストにある兄貴分より、ピリピ3:20の「国籍」という言葉は、英語聖書KJVでは「CONVERSATION」だと教えていただいた。

 

@Philippians 3:20

"For our CONVERSATION is in heaven; from whence also we look for the Saviour, the Lord Jesus Christ."

 

これを訳すと

 

「私たちの会話は天にあり、そこから私たちは救世主、主イエス・キリストを探します」(DeepL翻訳)

 

という訳文になる。

 

そこで、いわゆる「新生」と呼ばれるキリストにある救いを得ると、それは新しい会話領域が開かれる、ということになるとのこと。

 

なるほど、これは面白い。

 

キリスト者はすべからく「キリストの霊」を受けており、父なる神の右の座(エペソ2:6)から、父なる神に直接「アバ!」と呼びかけることができる立場(相続権のある息子としての地位=養子)をいただいており、「父ちゃん!」と呼ぶ特権が与えられている。

つまり、新しい会話領域が開かれる、というのはごく当たり前のこと。

 

そこでグーグル検索とDeepL翻訳で調べてみたところ、こちらのページに興味深い内容があり。

brandplucked.webs.com

 

「マシュー・ヘンリーはこう書いています。"私たちの会話は天にあるからです。見よ、善良なクリスチャンは、地上にいる間であっても、彼らの会話は天で行われています。彼らの市民権はそこにあります。まるで彼が言ったかのように、私たちはあの世界と関係があり、新エルサレムの市民である。この世界は私たちの家ではありませんが、それはあります。そこには私たちの最大の特権と懸念があります。そして、私たちの市民権はそこにあるので、私たちの会話はそこにあり、その世界に関連しているので、私たちはその世界に対応しているのです。キリスト者の生活は天にあり,そこには頭があり,家があり,すぐに行きたいと思っているところであり,上にあるものに愛情を置き,心がそこにあるところでは,会話をするのである。」(DeepL翻訳)

 

イエス・キリストという「門」を通って、霊的領域を「出入り」することが、キリスト者の生活であるからして(ヨハネ伝10:9)、実に腑に落ちる解説。

 

ピリピ3:20は大好きな御言葉のひとつ。

その理解の幅が広がるのは、とても嬉しい。

 

今日の学びを主キリストに感謝しつつ、御言葉を分かち合ってくださる兄貴分の、さらなる祝福を祈ります。