鳴鳩雑記

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「自分発の信仰」なのか、「キリストから賦与された信仰」なのか。

昨日、KFCのメッセ動画を拝聴したところ、興味深いことを聴いたので、ちっと調べてみた。

 

@黙示録2:13【新改訳2017】
わたしは、あなたが住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの確かな証人アンティパスが、サタンが住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。

 

この「わたしに対する信仰」が、原語だと「私の信仰」だという。

つまり、キリストご自身の信仰、ということ。

 

調べたところ、たしかに「私の信仰」が適訳のようです。

 

手持ちの邦訳聖書を調べたところ、新改訳、新共同訳、口語訳、岩波訳、フランシスコ会訳は、「わたしに対する信仰」、「わたしを信じる信仰」、「わたしへの信仰」という「人の信仰」。

言い換えると「自分発の信仰」という聖書理解の訳。

 

田川訳が「我が信仰」、回復訳が「わたしの信仰」、つまり「キリストご自身の信仰」という訳。

 

「自分発の信仰」なのか、「キリストから賦与された信仰」なのか。

訳し方で意味が全く異なってきます。

 

私としては、祈っているときとか、主からの言葉があるときとか、「来る」とか、「来た」という感覚なので、信仰というのは「キリストご自身の信仰が与えられる」というのが、腑に落ちるところです。

 

英語をチラ見してみたところ、NKJとHebraicRootsBibleは「My faith」、TEVは「your faith in me」。

 

そこで、新改訳2017のバイリンガル聖書のESVを見たところ…「my faith」でした。

‘I know where you dwell, where Satan's throne is. Yet you hold fast my name, and you did not deny my faith[a] even in the days of Antipas my faithful witness, who was killed among you, where Satan dwells.

 

ちょっと待て。

新改訳2017では「わたしに対する信仰」という訳なのに、併記しているESVでは「my faith」というのは、いったいとういうことでしょう?

<本書の特色>1・共通した翻訳理念の2つの訳で聖書がより深く理解できる。

というのが、バイリンガル聖書の宣伝文句ですが…。

理念は共通で訳語は異なる、というのは…。

まあ、いいや。

 

ちなみに、黙示録の「黙示」というのは「はっきりは言わず、暗黙のうちに考えや意志を示すこと」との事。

黙示録の記述って、明確ですし、暗黙のうちにという表現ではありません。

ですので、「啓示」「明示」「天啓」「公開」「開示」の方が、適訳です。

 

「啓示録」という表記をしている回復訳って、なにげに素敵かもです。

 

ついでに言えば、福音書イエス・キリスト、は「しもべとしてのメシア」であって、「啓示録」に記されるのが「王としてのメシア」です。

福音書だけでイエス・キリストを認識するのは、片手落ち、です。

 

もし啓示録が実現しなければ「王としてのメシア」の預言が成就せず、あのナザレのイエスはメシアではない、ということになります。

 

ですので、あの記述は必ず実現します。

マラナタ!