新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で、日常が変わった。
こんな事になるなんて、私をはじめ、ほとんどの方は思っていなかっただろう。
さて、今後。
同じように、新種の菌やウイルスの騒動になり、国家権力のもと、緊急事態の名のもとに、ワクチンなり対処物質が投与される。
その投与の有無を明確にするため、マイクロチップなんかが併用される。
それだけじゃなく、マイナンバーカード機能付きで日常生活も便利に、GPS機能もあります、クレジット機能やPASMO機能も追加できます、ついでに色んなアプリも入れられます、なんてことになるかもしれない。
獣のしるし。
そんな感じで、自然に、便利に、人に良いものとして、来るんだろう。
拒む理由がないように、準備されるんだろう。
また、それがないと、勤務を継続してもらえず解雇され、コンビニやスーパーにも入店できなくなり、行政の窓口に行くことも困難になり、社会的に詰み、いずれ実際的に、という恐怖を人にあたえることもできるだろう。
こんなことは、私の妄想であってほしい。
ただ。
艱難前携挙説に立ってると、まだ艱難期じゃないからこれは違うよね、クリスチャンは携挙されるから大丈夫でしょ、と警戒することなく、獣のしるしを打たれたりするやもしれません。
太平洋戦争時、会堂に神棚飾って、柏手打って、日曜礼拝したのと同じようにね。
艱難前携挙説について、艱難後携挙説について、それぞれの主張を見て、それらを批判的に見比べて、さて、どこに立つか。
正解しなければ、救いを失う、というわけではない。
正解しなければ、携挙されない、というわけでもない。
艱難期前携挙説が真理であれば、後携挙説支持者でも、艱難前に挙げられるでしょう。
もし、後携挙を支持すると、腹を据えることになる。
体を殺しても魂を殺せないものを恐れるな、というお言葉があり。
死に至るまで忠実であれ、と私の所有者は言われているわけで。
その期待に応えられるかどうかは、わからないけれども。
もしそうなったなら、応えたい、と願っている。