鳴鳩雑記

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異なる霊

この世には、「自称・クリスチャン」がいるだろう。

本人も、周囲の人も、救われている、と思っている。

しかしながら、「御子の霊」を受けていない、

装いはあるが、実際はそうではないという、悲劇。

それは、十分にありえる。

 

 そう思わせるような「霊」が働いている。

白く、温かい、心地よい、光。

とある「教会」と呼ばれるところでの、日曜の礼拝式、賛美の中、それは近づいてきた。

正直なところ、それに包まれたい、と思った。

だが同時に、「これは人として来られたキリストを告白する霊か?」と考えた。

その途端、それはすぐに消えた。

無防備だと、サクッと騙されるだろう。

もし、あの霊を受けてしまったら。

毒麦として、「異なるイエス」を語るようになるのだろうか。

 

また、スピリチュアル系やオカルト系の方々も、自分の崇める霊に「セイレイ」と呼びかけている。「セイレイ」を口にするからといって、聖霊が働かれるとは限らない。

聖書には、聖霊に対する祈り、呼び掛けは、記述されていない。

 

@【新改訳2017】Ⅱコリント11:4

実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。

 

初代教会の時代から、それらは働いている。

だから、聖霊の賜物のひとつに「霊の見分け」があるのだ。

 

@【新改訳2017】Ⅰコリント12:4-11
さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。
奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。
働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。
皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。
ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。
ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物、
ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。