鳴鳩雑記

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質問:キリスト教会の中の人間関係が大変です。

7年前のQ&Aに、今日も共感された方がおられました。
キリスト教の会」の枠組みに苦しみ方は、現在もおられるということでしょう。このブログにてご紹介します。

質問者さんは、匿名の方。
回答者は、ブログ執筆者です。

匿名さん

キリスト教会の中の人間関係が大変です。 プロテスタントの教会です。 罪人の集まりだから、いろいろあるのが当然ですよね。 みなさんは教会の人間関係で悩むことはありますか? どのように解決してらっしゃいますか? 「互いに許し合いなさい」など聖書の言葉だけで解決できますか? 牧師や、先輩に相談できますか? また、牧師との人間関係だったらどうしますか? 私は、ひとりで神様に祈るだけではどうにもならないことが多く、教会生活がしんどいです。 信仰をやめるつもりはありません。 色々問題があるからといって、神様に間違いがあるとは思ってません。 でも現実にはつらいことが多いです。 アドバイスお願いしますm(_ _)m

安息亭小鳩

>信仰をやめるつもりはありません。
>色々問題があるからといって、神様に間違いがあるとは思ってません。

質問者さんに、素晴らしい表明を与えられた主を讃えます。
まず、宗教生活と、信仰生活は、違います。
「教会」を名乗る宗教団体に所属して、毎日曜の礼拝式に出席して、牧師の指導を受けて、奉仕活動をして、などは、宗教生活です。 宗教生活にも有益な部分はありますが、必要不可欠なものではありません。

また、牧師を「先生」とし、信徒が「生徒」のような教会観は、間違いです。 主イエスが「先生」であり、牧師や伝道師は「学級委員」や「~係り」に過ぎません。 私は、すべてのキリスト者は、まず独りで神の前に立つという意識を持つべきであり、その上で他のキリスト者と関わっていくことが、兄弟姉妹の関係だと、考えています。

人間関係で悩まれるのは、ご自身のキリスト者として成熟を促す、主の配剤としての刺激かもしれません。
私は、他者のことばを聞いたときに、その人のことばの背後にある動機を考えます。そして、相手を理解しようと勤めます。 そして、相手はキリストの花嫁であり、私はキリストのしもべなのだ、と考えます。

意見の衝突が起こり、感情的になりそうなときは、お互いの平和のために離れることもあります。

また誤解であっても相手を怒らせてしまった際には、主の前で自分の不手際を認めることから、問題解決が始まると考えます。 他の「教会」に移動する、という選択肢もあるでしょう。

いずれにしろ、「キリストの支配」を祈りもとめ、結果は主に委ねることが最善です。 質問者さんの励ましになれば、幸いです。

匿名さん

具体的なご示唆をありがとうございます。

>質問者さんに、素晴らしい表明を与えられた主を讃えます。

「生きる目的がない」「死の恐怖」そんな絶望の中で神様に出会い、救われたので、信仰をやめる(真理から迷い出る)ことは ありえません。
しかし、地上では、自分も他者も、教会も、 罪深く、不完全で問題だらけ。 これから生きていく自信があまりないです。

牧師、牧師夫人、伝道師、役員の方の態度た横柄で、ろくにあいさつもしないのが、とてもいやです。

その他個人的問題もあります。
回答者さまが教えてくださったことを参考に、 相手の立場に立つ、ということも心がけてみます。
よい教会が見つかれば、移りたいとも思うことがあります。 移ってきた人、移っていった人、いますが、 実際にはそう簡単ではないように思います。

安息亭小鳩

>牧師、牧師夫人、伝道師、役員の方の態度た横柄でろくにあいさつもしないのが、とてもいやです。

それはいやですね。
他回答者さんへの返信も拝見しましたが、その牧師たちは、関わり合いになりたくない、なるべきではない方々のように見受けられます。
実のところ、キリスト業界には病んでいる方が少なくありません。
そして、類は友を呼ぶ、の諺にあるように似たような人が集まって、閉鎖されたカプセルを形成してしまいやすいようです。

私たちキリスト者は、見える世界に生きていると同時に、見えない世界に生きています。見えない世界において、勝利を得てください。

まず、質問者さんは、彼らを赦してください。牧師の密室での行動も含め、他者を赦すことによって、質問者さんの心に、敵に足場を作ることができません。
次に、イエスの御名で彼らを祝福してください。
そして、主が彼らを憐れんでくださるように祈ってください。

その上で、目に見える世界において、蛇のように注意深く、鳩のように偽りのない心で、彼らに接してください。 そこに、キリストの支配が現されます。
それは、人の目に喜ばしいことであるかどうかは、わかりません。
改善されるにしろ、より酷くなるにしろ、その結果を踏まえて、質問者さんは、次の選択に移ることが出来るでしょう。

>よい教会が見つかれば、移りたいとも思うことがあります。

移ってよいでしょう。 所属教会に行くことを考えるととても暗い気持ちになる、というのは、危険な兆候です。

>移ってきた人、移っていった人、いますが、 実際にはそう簡単ではないように思います。

難しいと思えば難しく、容易と思えば容易です。
たとえば、ある人を私が「牧師」と認めるときには、その人は私にとって「牧師」ですが、私がその人を「牧師」と認めなければ、その人は私にとって、ただのオッサンに過ぎません。

「教会籍」という、寺の檀家制度からパクッた登録制度も同様で、どこかのお店のポイントカードの登録みたいなものです。 神の前では、なんの拘束力も持ちません。

エスは、当時のパリサイ人などの宗教的支配に苦しむ人々に、マタイ伝11:28のとおりに語られました。人生の重荷、という解釈で語られる御言葉ですが、本来は宗教からの解放の言葉です。

匿名さん

ありがとうございます。 ご回答を読んで思ったことは ひとつは、その人の態度、行為などが、許容範囲を超えるようなものであって、長く続いているとしても、 態度や行為を憎むのはよいが、 人を憎んではいけない。 それは悪魔が喜ぶことですよね。

また、「赦すことイコールその教会に留まり続ける」と思って苦しんでいましたが、 イコールではなく、赦して祝福する祈りつつ、転会する、ということもあっていいんだな、と思いました。 どうでしょうか?

それから、この教会に家族、友達を誘えるかどうかが、私にとっては大きいポイントです。
無視やえこひいきだけでなく、礼拝メッセージでカトリックや他教会を、かなりな口調で批判したり、その他大声を出すことがあります。 (よい意味の大声ならいのですが) 人には聞かせられないです。

意外かもしれませんが、幼稚園その他の活動が盛んで、信者は多いです。牧師や教職も多いです。 喜んで教会に来ている人や、新たに加わる人と、私との差は何なのでしょう。 私が悪いのかな…と思ってしまい、よけいに苦しいです。 もちろん、私のように感じて来れなくなった人たちもいます。
とりとめもなくてスミマセン。

安息亭小鳩

はい、罪を憎んで人を憎まず、と言われるとおりでしょう。 赦しは神の業であり、キリスト者の勝利です。 イコールではありません。 赦し、祝し、離れる、というのは、最善のように思います。

>意外かもしれませんが、幼稚園その他の活動が盛んで、信者は多いです。牧師や教職も多いです。

いえ、意外ではありません。
新興宗教ビジネス、とお考えになればよろしいでしょう。中小企業の経営者などには、人格的に疑問を持つような方も少なくありません。

マタイ伝13章で、からし種の木の話があります。本来、からし種は野菜で食用になります。ですが突然変異で、木になることがあるのです。
そこには、空の鳥(マタイ伝13章の種を食べる鳥=敵)が住み着くのです。 カトリックなどはその典型例なので、確かに批判される事項が多々あります。ですが、プロテスタントカトリックの枝分かれであり、同じ根を持っています。

また多くのクリスチャンは、牧師などに教えられるまま、キリスト教という宗教の色眼鏡を通して、イエス・キリストを信じているように、見受けられます。 聖書の内容よりも、目に見える牧師や建物、儀式などに、惹かれてしまうのです。

>喜んで教会に来ている人や、新たに加わる人と、私との差は何なのでしょう。

その教会の何を喜んでいるのかは個々人それぞれ違うでしょうが、人の喜ぶものを備えているのでしょう。
宗教はそれを餌に、人集め金集めするものです。 絶望の中で神に出会ったキリスト者と、自分やこの世に希望を持ったまま信仰を持ったキリスト者とでは、信仰の温度差があるのはある意味で当然なのです。

> 私が悪いのかな…と思ってしまい、よけいに苦しいです。

心痛、お察しします。キリスト者を惑わし、思考を捕えようとする敵の働きは、常に働いています。
質問者さんは、直にイエス・キリストにどうするべきか、問うてみることをオススメします。それは、ヤコブの格闘に倣うかもしれませんが、主は本気の人には応えます。
また、質問者さんご自身をイエス・キリストの血潮で覆ってくださるように、主に求めてください。それは敵を退けさせる、キリスト者の武器です。

匿名さん

ありがとうございます。
祈ってはいるのですが、これからもますます本気で イエス様に祈り求めたいと思います。
今までも、先が見えない苦しい出来事のなかで、小さな祈りが聞かれ 主をほめたたえた経験が、幾度となくもあります。
今回も、私が想像してもないような導きをくださると信じたいです。 またお話できると嬉しいです。